@エンジン01 in 大分 考え方と行動次第で、誰でも「ハンサムウーマン」になれる!!

先週末は、エンジン01文化戦略会議オープンカレッジ in 大分に参加して来ました。

1月27日は朝10時から1コマ75分の講義が組まれていました。今回は3コマ目に受講した「ハンサムウーマンの系譜」についてまとめます。
ハンサムウーマンとは、サバサバしていて男性っぽい、ベタベタしていない女性のことです。

今回の登壇者は、
勝間和代さん(経済評論家):当日のナビゲーターもつとめられました。
奥谷禮子さん(株式会社ザ・アール 会長)
石井幹子さん(照明デザイナー)
中園ミホさん(脚本家)
東村アキコさん(漫画家)

まず、各登壇者が20歳から現在までの経緯をお話しされました。

目次

勝間和代さん

勝間和代さんは20歳で結婚し、21歳で子どもが産まれたことで、人生で初めて少数派になった。少数派になったことで、自分で考えないといけない人生に変わった。
子どもが産まれたことで、内定していた企業ではパート勤務に変更されてしまったため、子どもがいても正社員でいられる外資系会計事務所に大学のゼミの先生のコネで入社。英語が話せないとクビになる状況だったものの、会社の費用負担で英会話学校には通うことができた。夜は通えなかったので、会社に交渉して朝のクラスに2年半通わせてもらい、英語が話せるようになった。
その後、外資系金融機関やコンサルで勤務し、3年暮らせるだけの貯金もあったことから、独立して金融の顧問会社を始めるも、リーマンショックで立ち行かなくなった。
そこで、それまでは片手間でやっていた執筆や講演を本業に転換して、今に至るそうです。

奥谷禮子さん

奥谷禮子さんが大学を卒業する頃は、大卒女子は採用してもらえない時代。たまたまJALの国際線の客室乗務員の募集があり、良い待遇で勤務できた。結婚して専業主婦になったものの、仕事がしたくなり、コネでVIPルーム担当の仕事をもらう。
知り合いの商社の社長が「男性は35歳までに芽が出なかったら出世できない」と言っていた。29歳の時、その商社の社長から「何かやりたいのなら社長をやりなさい」と言われ、営業をやったことのない女性7人で1982年に株式会社ザ・アールを立ち上げる。声をかけてもらえた仕事は受けるようにした。できないなんて言ってられない。200人の研修を依頼された時、やったことはなかったが引き受けた。日々受講している人達の反応を見ながら、最後までやり抜いた。
きちんとやっていても、女性がやっている会社ということで、男性から対等に見てもらえなかった。
36歳の時に経済同友会に入ると、それがお墨付きとなって社会的に信頼され始めて、仕事が来るようになった。

石井幹子さん

照明デザイナーの石井幹子さんが仕事を始めた頃は、ちょうど日本では仕事がない時期にあたった。石井さんは日本にこだわらず、仕事のできる場所で仕事をやってきた。
1960年代半ば、石井幹子さんは女性の90%以上が仕事をしているヘルシンキでアシスタント・デザイナーとして働き、当時の日本でもらえる月給の5倍以上をもらっていた。
仕事を始めて8年目にようやく日本の景観ライトアップの仕事がきた。
アフリカと南米を除く全世界で仕事をしてきた。
娘さんの石井リーサ明理(あかり)さんも、母親と同じ照明デザイナーとして活躍し、パリに事務所を構えている。

中園ミホさん

脚本家の中園ミホさんは、小学生の時に父親を、10代の終わりに母親を亡くした。母親を亡くした時は辛すぎるあまり、その当時の記憶が全くないとのこと。
親戚からお見合いで結婚するか、コネで就職するかのいずれかを選ぶように言われ、玉の輿に乗ろうとお見合いしたものの、断られてしまう。
仕方なくコネ入社したものの、OLとしての仕事をうまくこなせず、1年3カ月で退社。占いも勉強して、四柱推命の先生のアシスタントをやっていた。
26歳の時、知り合いの男性の友人である脚本家に一目惚れした。脚本家になればその人にまた会えると思い、脚本家を目指し始める。国会図書館に行き、その人の脚本を書き写した。1年半後、29の時に脚本家になっていた。脚本家になるためにやったのは、この脚本の書き写しだけだった。
34の時未婚の母になった。子どもがいてもできる仕事として、占いではなく、脚本家を選んだそうです。

東村アキコさん

東村アキコさんは、卒業後は宮崎県で104の番号案内係として勤め始めた。ただ問い合わせのあった番号を答えるのではなく、宮崎の市外局番を全て覚える必要があったが、入社3日目で仕事が嫌になってしまった。
そこで週末の土日にボールペンでマンガを描き、好きだったマンガ、「ぶ〜け」の出版社である集英社に送った。編集者の梅岡さんの目にとまり、家の留守電に連絡が来ていた。メッセージを聞く前にお父さんが消してしまったので、自分で集英社に電話した。
電話口の梅岡さんからこう言われた。
「あなたは天才だ!ただ普通はインクで描くところをボールペンで定規も使わずに描いているので、印刷に耐えうることができない。次の締め切りの時にまた出しなさい。」
東村アキコさんの送ったもののセリフが面白かったので、梅岡さんは拾ってくれたとのこと。マンガ家は男女平等でアンケート主義。読書アンケートと売れ行きがすべて。

コネや成り行きを経てここまで来た!!

今ではハンサムウーマン中のハンサムウーマンである登壇者の方々も、置かれた状況から抜け出すためにコネもつかいながらステップアップして、成り行きでここまできたのが現実でした!

セリフが大切というのは、マンガだけではなく、脚本も同じ。
中園ミホさんがテレビ朝日に脚本を出してそれを使ってもらえたのは、脚本の中に面白いセリフがあったから。設定や構成はテレビ局側でつくってくれるが、セリフは脚本家がつくる。
「決めゼリフは本人にしか作れない」
東村アキコさんもあらためてそうおっしゃっられました。

奥谷禮子さんは「もらったチャンスを成功させるだけ。」
母親から「できて当たり前、やって当たり前。私の血を引いているから」と言われていたのも背中を押してくれていたのかもしれない、ともおっしゃっていました。

勝間和代さんの場合は、会社をつくることにしてから、そこで何をやるかを考えた。リーマンショックのあおりで1年後に仕事がなくなり、できることをやってきて今につながっているそう。

石井幹子さんも、「設計料をもらうことにつなげるのが大事。」白いペンキを自分で塗ったり、打ち合わせのために出かけた先で守衛さんに止められたとしても、とにかくやってきたとのこと。

まずはできることからやってみる

パートではなく、自分の力で100円、1000円でもいいから、その人がいたからこそ稼げるお金を生み出すことが大事。お金を稼ぐ手段はメルカリでもアフィリエイトでもいい。
東京に熱帯魚用の流木が1500円で売られているが、宮崎の海岸に落ちている流木を売ったら、そのくらいで売れる可能性があるということでもある。

徳島の葉っぱビジネス
https://www.projectdesign.jp/201510/pn-tokushima/002488.php
も、集めた葉っぱの需要によっては、一家で年収1000万円になる場合もある。

このあとはQ&Aセッションへ。

育児と仕事の両立について

勝間和代さんからは、「機械と親戚に任せられるところは任せる。3割の重要な仕事に注力。」
中園ミホさんからは、「助けてといえるようになる。できないと大きな声で言えば、だれかが助けてくれる。自転車に自分が乗れないので、どうやって息子さんに教えようと思っていたところ、息子さんは近所のお父さんに教えてもらって乗れるようになっていた。」

どんなパートナーにそばにいてほしいか。

東村アキコさん:自分に時間を合わせてくれる人
中園ミホさん:笑わせてくれる人
石井幹子さん:口出ししない人
奥谷禮子さん:相手に何も求めない
勝間和代さん:相手の生き方や人生を尊重してくれる人

自分らしく生きていくことがベースになっていて、パートナーにはそれを理解してくれる方を求める割合が高そうです。

女性も競争の意識を持とう

勝間和代さんから:市場の中で真ん中より下だと淘汰されていくので、少なくとも上位4分の1にいられるようにすることが大切。
上位4分の1以上に入れる分野で勝負する。
男性のDNAには競争が入っているので、上位4分の1に入ることを自然と意識しているが、女性には競争の意識がない人が多いので、意識することが大切。

登壇者からのメッセージ

東村アキコさん:めちゃくちゃでも描いて送ったので、編集者が見出してくれた。
無理だと思わない。失うものはないので、チャレンジしてみる。

中園ミホさん:(中園さんが脚本を担当している)今NHKで放映中の大河ドラマ「西郷どん」。主人公の西郷隆盛は2度も島流しされたりしている。
「西郷どん」の裏のテーマ、「つらいことがあると人は強くなれる」を思い出して頑張ってみてほしい。

石井幹子さん:誰にでもチャンスはある。日本で仕事がなくても、アメリカから仕事がきたり、サウジアラビアの迎賓館の仕事がきたりした。
必ずチャンスはあるので、チャンスがきたらそれをがっちりつかみとること。

奥谷禮子さん:チャンス、夢があるから実現する。
Never give up.
あきらめなければやりたいと思っていたことがすべて実現する。

勝間和代さん:活躍したいと思っている女性にとって、今は追い風。
政府の方針もあり、下駄をはかせても活躍させたいという企業も多い。
最初は下駄を履いていても、やっているうちに靴になって地に足がつくようになる。
やりたいことがあったら、相談してみる。ばかにしないで話を聞いてみて、実際にやってみる。
そうしているうちに2年後5年後には何らかの結果となっているはず。

このイベント中に、東村さんが登壇者の方の似顔絵を描かれていました。皆さんの特徴をとらえている素敵なイラストです。
勝間和代さんのブログで公開されているので、東村さんのイラストはこちらのリンクをクリックしてご覧ください。
http://katsumakazuyo.hatenablog.com/entry/2018/01/30/101256

まとめ

私は今回のエンジン01は、金曜日に仕事が終わった後、夜の飛行機で大分に移動。
土曜日に1限から4限の講義に出て、終わったら夜の飛行機で羽田に移動というスケジュールでした。
4つの講義を受けるためだけに大分に行ったのですが、それだけの価値が十分ありました。
どの講義も内容が濃密でした。
このハンサムウーマンも、75分で5人の登壇者の方の貴重な体験談を聴くことができました。
私はここ数年、自分が興味のあるテーマの講演やイベントになるべく足を運ぶようにしてきましたが、 こんなに豪華な登壇者がそろうことはそんなに多くないですし、本音を聴けるかどうかは行ってみなければわからない。
そういう意味では、1限から4限まで、多くの登壇者の方の本音トークが聴けて、とても勉強になりました。

自分にはチャンスがないと思わず、自分が上位4分の1に入れそうな分野で、手を挙げて、打席にコンスタントに立つようにする中で、何かつかめていけたらいいなと思います。