駒込駅最寄りの日本庭園の六義園(りくぎえん)、お花見だけでなく、紅葉鑑賞もおすすめです!!

11月27日は六義園に行ってきました。
最寄り駅はJR山手線、東京メトロ南北線の駒込駅です。
桜花期と紅葉期、4月の土日とゴールデンウィーク期間中に染井門(駒込駅側の門)が開門されているので、この時期は駅からすぐに六義園に入れます。
https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/about031.html
2017年は11月18日(土)~12月6日(水)の期間、「紅葉と大名庭園のライトアップ」が開催中です。
http://teien.tokyo-park.or.jp/contents/info031.html#1

開園時間も長く、9時~21時(最終入園は20時30分)です。

なかなか紅葉を観に行くこともできなかったのですが、ようやく少し鑑賞できました。夜はやはり少し冷えてきますが、いくつも綺麗な場所があるので観る価値ありです。

ここで、六義園ってきいたことあるけど詳しく知らないという方もいらっしゃると思います(少なくとも私自身はよく知りませんでした・・・)ので、六義園についての基礎知識を書きたいと思います。

六義園は、徳川五代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が、自らの下屋敷として造営した大名庭園です。1695年(元禄8年)に加賀藩の旧下屋敷跡地を綱吉から拝領した柳沢吉保は、約2万7千坪の平坦な土地に土を盛って丘を築き、千川上水を引いて池を掘り、7年の歳月をかけて起伏のある景観をもつ回遊式築山泉水庭園をつくりました。
1702年(元禄15年)に庭園と下屋敷が一通り完成すると、以後将軍綱吉のお成りが頻繁に行われました。その回数は記録されているものだけでも実に58回もあり、吉保の寵臣ぶりもさることながら、この庭園自体が当時にあっても天下一品のものと評価されていたことが窺えます。

「六義園」の名称は、紀貫之が『古今和歌集』の序文に書いた「六義」(むくさ)という和歌の六つの基調を表す語に由来します。
六義園は自らも和歌に造詣が深かった柳沢が、この「六義」を『古今和歌集』にある和歌が詠うままに庭園として再現しようとしたもので、紀州の和歌浦を中心とした美しい歌枕の風景を写して、庭園を造ろうと思い立ち、その設計は柳沢本人によるものと伝えられています。

明治の初年には三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が六義園を購入、維新後荒れたままになっていた庭園に整備が施され、このとき周囲が今日見る赤煉瓦の塀で囲まれました。その後は関東大震災による被害もほとんど受けず、1938年(昭和13年)には東京市に寄贈され、以後一般公開されるようになりました(有料)。
東京大空襲の被害を受けることもなく、造園時の面影を残したまま今日に生き延びた六義園は、1953年(昭和28年)に特別名勝に指定されています。

ここで、六義園はなぜ「ろくぎえん」ではなく、「りくぎえん」なのでしょうか?
「六」の読み方ですが、
「ろく」と言う音は、呉音(ごおん)
「りく」と言う音は、漢音

注1:呉音とは
日本における漢字音の一。漢音の渡来以前に朝鮮半島経由で伝来した、中国南方系の字音に基づくといわれる音。「男女」を「なんにょ」と読む類。漢音を正音と呼ぶのに対して、なまった「南の音」の意で平安中期以後呼ばれるようになったもので、仏教関係や官職名などに広く用いられた。

注2:漢音とは
日本漢字音の一。奈良時代から平安初期にかけて、遣唐使・音博士や日本に渡来した中国人などによって伝えられた、隋・唐代の洛陽(今の河南)や長安(今の西安)など中国の黄河中流地方の発音に基づく音。「経」「京」を「ケイ」と読む類。平安時代には、それ以前に伝えられていた漢字音に対して、正式な漢字音の意味で正音とも呼ばれ、多く官府や学者に用いられた。

六義園は、中国の『詩経』に分類されている詩の分類法を和歌に適用させた紀貫之の『古今和歌集』の序文にかかれている「六義」(むくさ)にちなんでいます。
当初は、六義園と書いて「むくさのその」とも呼ばれていました。
そして「六義」は「りくぎ」と漢音で読まれていたので「りくぎえん」と呼ばれるようになりました。

古今和歌集の和歌をイメージして柳沢吉保が設計しただけあって、六義園は単にお花見・紅葉を楽しむにとどまらない、立派な日本庭園だと思います。都心にこれだけ立派な日本庭園が残っているというのは、本当にすごいことだな、と思います。

この写真は、水の流れを再現した水香江とのこと。
青の光と霧がたちこめるような演出がされていました。

12月6日までライトアップ開催中です。ライトアップ中は、駒込駅からすぐの染井門から入れますのでぜひ立ち寄ってみてください